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Force of Nature京都造形芸術大学/GALLERY RAKU2007.6

Force of Nature京都造形芸術大学/GALLERY RAKU2007.6
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by yurishibata | 2010-05-13 19:40

MOT ANNUAL 2007 「等身大の約束」“From a World as Large as Life” 東京都現代美術館

2007 "MOT Annual 2007 From a World as Large as Life", Museum Of Contemporary Art, Tokyo
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Material Colors No.41 Lipstick 2006    
   blood,glycerin,lipstick case
   COOPERATION:OTUKA Pharma-ceutical Co.,Ltd. / Nippon Olive Co.,Ltd. /    
   Shinichi Ishikawa / Akira Chikuba / Norimicji Namba/ Yoshitomo Matsuoka
   25×60 mm
   Collection of the artist

   The color of my lip depends on the color of the blood at that time.

マテリアルカラーズ No.41 リップスティック
   血/グリセリン/口紅ケース /
    25×60  
   制作協力  : 日本オリーブ株式会社、日本オリーブ株式会社、ヒロ・チカシゲG,
   石川眞一、竹馬彰、難波法道、服部恭一郎、松岡良知、近重博義、
   作家蔵  

   私の唇の色はその時の血の色から来ている。

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マテリアルウァーク“ヘヤー”4つのポニーテール+α
髪の毛
直径37×90mm
作家蔵

Material Work “Hair” M0y Four Ponytail+α 2005
Hair
37×90mm
 Collection of the artist


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マテリアルカラーズ No.35 へヤー
写真/紙に素材粉末
1500×1060mm
作家蔵
4年もの間私は髪の毛を切らないままでした。セルフポートレイトの続きに髪の毛の絵を日々集まる私の髪の毛で描き繋げた。2006年Oct.12.に髪の毛を切るパフォーマンスをしました。

Material Colors No.35 Hair 2006
Photograph/Painting material(Hair) on Paper
1500×1060mm
 Collection of the artist

No.35 Hair 2006 I have not cut may hair for 4 years. Next to my self-portrait, I added the works that painted hair pigment. I hold the performance cutting my hair on Oct. 12.2006.
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by yurishibata | 2008-06-02 19:54

「Force of Nature」 Van Every / Smith Galleries at Davidson College /AIR

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しばたゆり   作品タイトル:Material Works(マテリアル・ワークス)

 「自然のどこまでが私の一部で、私のどこまでが自然の一部なのだろうか?」「私のどこまでが本当の私で、どこからが私ではないのだろう?」しばたゆりは、作家として活動し始めた当初から、自分自身と自然との境界線について想いを巡らしてきた。こうした哲学的ともいえる問いが、しばたの作品に通底している。その答えを探して、身の回りにある「はかないもの」に注目し、作品を制作し続けている。今回滞在したデイヴィッドソン大学の展示では、同上のテーマをさまざまな方法を使って表現し、作品全体のタイトルを『Material Works』とした。
 大学内のギャラリーで「埃」を集めたしばたは、その日に集めた埃を素材にして、『Dust Prints(ダスト・プリンツ)』と題された版画を制作した。埃はその場にいた人々の被服や、古くなった皮膚からはがれた物質を含んでいる。だからこそ、『Dust Prints』は「その日」の集積であると同時に、そこに行き交う人々の軌跡でもある。我々もいつかは必ず「埃」となる。しばたの作品は、私たちに与えられた時間が確実に進んでいることを暗示する。
 『Air(エアー)』は、ラテックス(合成ゴム)で造られた円盤状のものに、裸の人が呼吸する映像が写し出された作品だ。映像の中の人の呼吸と連動して、ラテックスがまるで呼吸しているかのように上下する。人は皆裸で生まれ、裸で死んでいく。「生の証し」である呼吸を意識させられるからこそ、私たちはそれが止まるときのことをも連想してしまう。 
 『Material Color(マテリアル・カラー)』は、植物や動物の一部など、自然界にある素材を細かく切り刻み、それにニカワを混ぜて顔料を作り、それを使って顔料の素材となった物質を描いた一連の作品である。しばたはノース・キャロライナ州では「葛」や「鹿」そして自らの「髪の毛」を用いて顔料を作り、それで「葛」「鹿」そして「毛髪」を描いた。写実性という意味では、これほど写実的な作品は他にはないだろう。
 ひとつのモノが独立してあるのではなく、それらはみな「連鎖」している。この「循環」という観念は、今回このプロジェクトに参加した日本人のアーティストたちの多くに共通する考えだった。しばたにとって、世界とは自らの延長にすぎない。つまり、人間の存在そのものの延長が世界を形成しているのだ。従って、人と自然の境界線に関する問いは、実は、人間の本質、存在そのものを問うことに他ならないのである。



Kudzu 

   I used Kudzu for the first time when I encountered it on an uninhabited Japanese island. The Kudzu was interesting and I impulsively took some back and used it in my work. The Kudzu field, within Davidson College’s cross-country trails, is a wonderful place where you can see deer and beavers.  I remember the strong emotions this field gave me.  I am thankful that I again had a chance to use Kudzu, which was brought to The United States from Japan in the 19th century. 

Hair 

   Hair is a measure of my time – growing longer as I exist in time. I collected the hair used in this work from my hairbrush. I believe these hairs are a part of my body.  In my performance, I will cut off my hair and separate it from my body. This act will make the hair a simple object.   


White Tail Deer 

   There are many wild animals in southeastern United States.  I have seen wild deer, rabbits and beavers in the kudzu field where I worked a few afternoons.
   I received a tanned hide from a White Tail Deer and removed the deer’s fur. I cut the fur into small pieces and separated it by color. I was immersed in the scent of deer. I felt the existence of the deer, which was there just a moment ago.  

Dust Prints 

   I believe every particle of dust is a record of time and space.  By sealing it in thin paper, which I call Dust Prints, I reveal the layers of time.  Each layer represents the exact moment I moved and existed.  I have been in The United States for 45 days, and I have uncovered the 45 layers of time and space.   
 

Air
The Breath of a Person 

   What part of me is really me?  Do I exist in here?  I want to explore the relationship between other people and myself and between the inside and the outside of a person. In order to understand this relationship, I decided to focus on the air around all of us.  I wonder how many breaths are taking place in the world at this moment.

 
 
I would like to thank Cort Savage, Rick Fitts, and Gavin Weber for helping me realize this project. 
 

 Earth 
I created this work with earth. There was a lot of beautiful soil at a construction site near Ms. Nancy Smith’s house (the house where I stayed in Davidson.) I took some of this beautiful earth and began this work.   
 

MATERIAL WORK AIR
The Breath of a Person, 2006 
 
MATERIAL WORK HAIR
Performance, October 12, 2006 
 
MATERIAL COLORS

These objects no longer exist as they did,
but are conduits of their past.  

Material Colors No.35   Hair        
Material Colors No.36   Kudzu  
Material Colors No.37   Earth       
Material Colors No.38   Deer        

DUST PRINTS
45 pieces
 


ホワイトテールディア(鹿)

多くの野生動物が南東の合衆国にいます。私はいくつかの午後を扱ったkudzu分野で野生の鹿、ウサギ、およびビーバーを見ました。

私は、白いTail Deerから日焼けされた獣皮を受けて、鹿の毛皮を取り除きました。私は、毛皮を小片になるまで切って、色でそれを切り離しました。私は鹿のにおいに浸されました。私は鹿の存在を感じました。(ついさっき、その鹿は、そこにちょうどいました)。




ダストプリンツ

私は、ほこりのあらゆる粒子が時間と空間に関する記録であると信じています。この埃の版画をDust Printsと呼びます。埃を紙に刻印することによって、私は時間の層を明らかにします。そのレイアーは私が生きていた正確な瞬間を表します。45日間合衆国にいて、私は45日分の時間と空間をすくい取りました。


私はどこからどこまでが本当に私ですか? 私はここに存在しますか? 私は人々と自分の内部と外部との関係について見つめたいと思います。私は、この関係を理解するために私たちのすべての周りの空気に焦点をあてました。この瞬間世界中で同時にたくさんの息吹を感じます。
 
私がこのプロジェクトでコート・サヴェージ、リック・フィッツ、およびギャヴィン・ウェーバーの協力に感謝申し上げます。





髪は私の時間の基準です。私が生きる時間とともに髪の毛は長くなります。滞在中髪をとかすして出て来る髪を集めました。これらの髪が私の身体の一部であると信じています。私のパフォーマンスで、身体と髪を切り離します。この行為は体の一部だった髪の毛が物に変わる瞬間です。

Kudzu

初めて日本の無人島で葛を見つけ使用しました。出会った葛はとても美しく私は描きたい衝動にかられて思わず葛を取って作品の素材に使いました。ディヴィッドソン大学のクロスカントリーの葛の野では鹿やビーバーやうさぎがいる素晴らしい所です。私はとてもその葛の野に感動しました。私は又葛に出会えて感謝しています。実は葛は19世紀に日本から合衆国に持って来られ今では南部を覆いつくしていましす。



土で制作しました。多くの美しい土がナンシー・スミスさんの家の近くの建設現場にありました。私がディヴィッドソンにいた家私は、このいくらかの美しい土でこの仕事を始めました。



マテリアルワーク : ヘアー
パフォーマンス 2006/10/12

-そのモノたちは、すでにそこになくなり、
しかしそれについて語る伝達者となった。-

マテリアルカラーズ No.35 Hair
マテリアルカラーズ No.36 Kudzu
マテリアルカラーズ No.37 Earth
マテリアルカラーズ No.38 Deer

ダストプリンツ
45 枚
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by yurishibata | 2008-01-31 00:15

 「ニッポン vs 美術 近代日本画と現代美術:大観・栖鳳から村上隆まで」

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タイトル :Material Colors No.30 西山の鹿
制作年度 :2006
展示サイズ:1304×10904 mm
素材   :鹿毛皮/紙に素材粉末
作家蔵

タイトル :Material Colors No.31. 丹波の猪
制作年度 :2006
展示サイズ:1063×1404 mm 
素材   :猪毛皮/紙に素材粉末
作家蔵

タイトル :Material Colors No.32. 紅葉
制作年度 :2006
展示サイズ:1000×650 mm
素材   :紙に素材粉末
作家蔵

タイトル :Material Colors No.33. 萩
制作年度 :2006
展示サイズ:900×700 mm
素材   :紙に素材粉末
作家蔵

タイトル :Material Colors No.34. 落とし角
制作年度 :2006
展示サイズ:530×70 mm
素材   :鹿角/紙に素材粉末
作家蔵

鹿毛皮 :1190×800 mm
猪毛皮 :1060×870 mm
鹿落とし角 : 355×450 mm

展覧会  :「ニッポン vs 美術 近代日本画と現代美術:大観・栖鳳から村上隆まで」
大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室 (大阪府)
2007年10月28日(土)~12月10日(日)
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by yurishibata | 2008-01-30 23:00

神戸新聞 2007年8月28日(火曜日)夕刊 随想 8

術を探す旅  

私はそれがどういう事を意味するのか解らないまま、単なる感で、美術の方に進むな、と思ったのが小学校の5年頃です。学校の勉強も先生の言われる事もほとんど解らず悩める頃で、ただ美術の時間だけがリラックス出来たからでしょうか。当時尼崎に暮らしていた私は、京都の方向に指を指して、絵ばっかり書いていたらいい大学があるらしいと自分の未来を語っていました。
その頃私が知る芸術は印象派のゴッホやマネです。光のゆらめきや色の持つ力を絵の具で表現するその魅力に憧れました。
 理科で光の反射を習った時、色を感じるとは、その色を見ているのではなく、赤の光だけ反射している光を見ているから赤に見えると学びました。理解力の少ない私には鵜呑みにすることですら難しいことでした。スーラが点描で川辺の風景を描き、色と光の関係を表した事を同じ頃知りました。点描の色の粒達が目を通って脳で混ぜられる?という道理に、私はその事が不思議で目の中の網膜や光の粒、脳について深く感じるようになりました。そして私の周りの世界が粒となって見えそうな感覚にひたりました。
 そういう感覚が好きで美術の仕事が出来る事を私は望んでいたと感じます。この事は私にはとても大事な事で今の作品に底通している感覚と言えます。そのような中で私にどんな表現の術=アートがあるのか、私はその時のひっかかりの解決策として作品を作って来たと言えます。
 この随想も8回の最終回。自分の思う事を見据えて文字で伝えるという、私には始めての経験を与えて下さった事に感謝致します。私の随想を5年生の私が見た時、進路について考え直すのかどうかこれからも私は表現の術を手探りし続けて行くようです。
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by yurishibata | 2007-11-19 22:00

神戸新聞 2007年8月14日(火曜日)夕刊 随想 7

呼吸

 わたしは私と外界との関わりに焦点をあてる事で思いを形にして表現活動しています。
 呼吸している私たちの体の中と外を行き交う空気について考えた時に、私は表現活動と平行に呼吸を重んじている武道について知りたくなりました。日本らしい合気道にひきよせられて道場に通い始めたのが4年ほど前です。いまもまだまだ初心者です。
 芸術は人間が生きて行く上での生きる術のアートという言葉を使いますが、武道もマーシャルアーツと訳する生きる術の一つです。自分1人が相手と繋がったところでもがくのではなく、相手と繋がった二つの体を一体としてどう促して行くかという、手だてとしての道があるようです。その相対した時の捌きの鍵に呼吸があります。相手の呼吸に合わせて息を吸い、捌く時に吐き、又投げられる時に吐く。私にはその動きが非常に美しく感じます。
 武道をはじめてよく似ているなと感じる事に書道がありました。人が筆を持つ時、筆と敵対などせず、絵を描く時と同じく筆の先まで意識を通わせて、息の流れに合わせて書き進みます。こどもの頃よく、書き進んで行くときにゆっくり吐きながら、とかそこで息を止めてと母にかけ声をかけてもらってお稽古をした事を思い出します。
 私は表現活動でそんな武道の考え方に学ぶところがありました。日本やアメリカでさまざまな年齢と肌の色の男女に上半身はだかにで深い呼吸をしているところの映像を撮影した作品があります。直径3m以上の球面の一部の形のスクリーンは映し出す人々の呼吸にあわせて膨らんだりしぼんだりします。この表現では今はまだ道の途中で、健康な50歳代までの人々の映像が続いています。そうでない方、例えば乳児や妊婦やお年寄りの方などのご協力を募っています。数人の方が名乗り出て下さっています。今この大地に同時に息づいている命の事を、私1人でもがくのではなく、地球単位で思いを馳せる試みはまだ続いています。
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by yurishibata | 2007-11-19 21:45

神戸新聞 2007年7月30日(火曜日)夕刊 随想 6

衝動と方法

大阪アウトドアスクールの校長でアーチストの二名好日さんが2002年新緑の頃、私を無人島に連れて行ってくれました。広場の周りに木々が茂り、グリーンのドームのような木漏れ日のすばらしい場所の奥まった高い枝から葛のツルが垂れ下がっていました。私はその美しさに心を打たれました。
 私の表現活動は絵画が全ての始まりで、学生の頃は日本画を学んでおりました。しかしそれから久しく立体や写真や版画などをして描く事から離れていましたのに、その葛のツルが垂れ下がる美しい光景を見て私は描きたい衝動に駆られました。その方法も完成予想のイメージもその時連なりのように描きたい世界が立ち上ってゆき、私は実行に移しました。
 私はその光景をスケッチし撮影した後その葛を持ち帰りました。帰り路、押し花をしている友達に植物の乾燥と色の保存について教えてもらい、薬品会社に電話をして乾燥剤を買いました。帰宅して私は葛を乾燥させ、葛をツル、葉、花など場所や色毎に分けました。そしてそれらを乳鉢などで粉状にし、葛の各色を持った粉を数種類作りました。
 日本画は顔料という絵の具の粉と膠を使って描きます。私は葛のツルを葛から作った粉と膠で描きました。無人島で出会ったかけがいのないあの心を打った葛のツルを描くのに、画材屋さんで売っている何の関係もない色の粉や絵の具を使うのではなく、私を感動させたあの葛そのもので描く事が、私が描きたいという衝動に唯一答える行為と思えました。
私はクマのぬいぐるみ、衣類、家具、動物と描く事になります。マテリアルカラーズという作品のシリーズがはじまりました。
-そのモノたちは、すでにそこになくなり、しかしそれについて語る伝達者となった。-
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by yurishibata | 2007-08-01 10:10

神戸新聞 2007年7月12日(木曜日)夕刊 随想 5

土はどこから

 こどもの頃私は、大地に指でそっと描き始めそれを段々広げ、自分を包むような場所にするのが好きでした。不思議だったのはこの土はどこからやって来たのかということでした。そして少し大きくなり、大地の下に地層がある事を知り、人間の歴史が見えて来る事や地層に包み込まれた膨大な時間にあこがれを感じました。
 前回お話した埃を使った版画『ダストプリンツ』は14年ほどで600枚近くになりました。美術館で展示する時、時間の古い初期のものから順番に上に上にと天井まで重ね、吊るしたり、壁に沿わせたりして設置しています。一番天井に近い作品が現在に近い作品になります。場所は変わりながら一枚一枚私が関わったその空間の記録、私の時間、私の地層を表します。そしてその先に私の未来や死があるように思えます。
 若い時には日々の事や私の表現と、自分がいつか死んでしまう事について、さほどつながりを感じませんでした。
 淡路神戸大震災は人間も含む形あるものの行く末について具体的なイメージを私に与え、数年前に幸運にも私の腕の中で亡くなった両親の死は自分の限られた時間について考えさせられました。今死生観は全ての根底に横たわり私の生活や自分の表現とつながっています。
人が亡くなった時、火葬され灰や骨として又は窒素や炭素となって空中をさまよいいくぶんかは大地にたどり着くでしょう。
 何も持たずに生まれて来た私達が又、何かしらの証拠として大地に記憶を残し、何も持たずに死んで行きます。地層から生まれ地層に帰って行けるとしたら私はそこに深く美を感じます。
私は今、ここにいる事を考え続けています。土はどこからやってきたのか思いを馳せながら。
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by yurishibata | 2007-08-01 10:07

神戸新聞 2007年6月27日(水曜日)夕刊 随想 4

空気の眺め方        
 
 私にとっての展覧会場という表現の発表の場は気づきの交換の場であってほしいと思っています。送り手は思いや気付きを形に作り伝えようとし、受け手は受信した何かを体の中で作り直す事で気付きを完成します。
 1993年岡山市内に自由工場というアーチストが自主運営する多目的アートスペースが立ち上がりました。そこは様々な人達が表現する場としてしばたさんならここで何をしますか、と投げかけられました。それからの何日間はただそこの空気を眺めて表現の発芽を探していました。
 私はここで作り出されるものは塵やほこりということに行き当たりました。日々ここに降り注がれるように見える塵や埃はこの限られた空間と時間でしか作り出されない証拠の品のように見えてきました。それが私の気付きの始まりです。
 掃除をして集めた塵や埃を私は絵の具の顔料とし、この空間の証拠を刻印にするための手段に版画を選びました。銅版の上にローラーで油を塗り、その上に塵や埃を降り注ぎます。湿らせた用紙を上に置き、銅版画のプレス機でじっくりと用紙に塵や埃を食いつかせて行きます。その限られた空間と時間の証拠としての版画はダストプリンツ(ホコリの版画)と名付けました。
 会場でダストプリンツを制作し展示していましたら、来られた女性が、「始めは何を汚い事をしているのかと思ったけれど、掃除するたびにこの事を思い出すでしょうね。これからは空気の見方も変わるわ。」と言って下さいました。
その女性は私のメッセージを軽々と受け止めてご自分の中で私の気付きを自分の気付きとして完成されたようです。気付きの授受が行われた美しい瞬間でした。
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by yurishibata | 2007-08-01 10:03

神戸新聞 2007年6月12日(火曜日)夕刊 随想 3

自然の力

懐かしいという感覚は再び感じ入ると言う事なのでしょうか。
 この所私は60年以上前に祖母が母に作ったしつけのついているままの単衣の着物を前に、懐かしい気持ちとともに京都で開かれるお茶会の事を思い描いています。私はそこで慣れない着物をまとい、公開制作のパフォーマンスをすることになりました。 
 去年米国の7つの大学などの企画で10人の日本人作家の展覧会に参加し滞在制作しました。その美術館の館長や教授を日本に招き、里帰り展を6月20日(水)から7月1日(日)まで京都造形芸術大学ギャラリーRAKUで催します。(入場無料)
 関連シンポジウムやレクチャーが京都、滋賀、石川であり、そして特別企画としてのお茶会は6月24日(日)に京都芸術センターの80畳の大広間で行われます。我々作家達に贈られた米国の陶芸家の茶碗10個が始めて揃い、企画者3人を迎える趣向で作家達がお届けします。器が取り持つ縁で集い、お手前をするほんの短い間に、私のささやかな緑色の御茶の粉を使ったパフォーマンスをご覧頂きます。そして同じ緑のお抹茶を飲み体の一部になることで、 少し違う見方で御茶を感じて頂けたらと思います。それはお茶会を通して、米国での展覧会のテーマである「自然の力」に対する私の一つの答えでもあります。
 私にとって、作家や企画者や滞在した日々、お茶碗そして亡き母や祖母の暖かみをお抹茶の緑の粉を介して、再び感じ入る時間になるのではと楽しみにしています。お茶会は1時、2時半、4時の3席があります。お申し込み:6月15日までに荒蒔まで、FAX(077-573-5750)(京都芸術センターは申込み窓口ではありません)
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by yurishibata | 2007-08-01 09:51